平成16年(2004年) 1月22日(木)

 校長室の一角に会議用のテーブルがあり、それを取り囲むようにゆったりとした椅子が並べられている。1日の喧騒と緊張から逃れた放課後、ぼんやりと丸山先生は配られたプリントを見ていた。周囲には校長、教頭をはじめ、各課、各学年の主任が集まっており、それらで構成された校務運営委員会がすでに始まっていた。

 粛々とした進行を期待する中で、図書課長の滝地先生の声が響き、声の調子が上がっていることに丸山先生は気づいた。

「専門高等学校等卒業生成績優秀者表彰はおかしいのではないですか。本校は総合学科制をとっているのだから、専門学校等と名のつく表彰はおかしい。昨年もこの会議で同じことを言っているのに何にも変わっていないじゃないですか」

それに対して、間髪を入れずに多数の者が口を揃えて、

「もらえるものは、もらっといたらいいじゃないか」

「そうだ」

「そうだ」

「・・・・・・・・・」

と口々に言い合った。

「滝地先生、疑問に思うのだったら、このことをしっかり調べて下さい」丸山先生が何気無く言ったところ、他の者は黙りこくってしまった。

 その後、会議が終わり校長室と同じ1階にある職員室に戻ると、滝地先生が教務課長の江島先生と何か口論しているようだった。その内容は表彰規定がどうのこうのという内容で、途切れ途切れに、同じ職員室の向こう側にある丸山先生の座っている情報管理課の席にまで聞こえてきた。
 本校は、旧国道から北へ走ると、右手の町並みのきれぎれに見える標高約二千m級の××山連邦、続いて観覧車が現れ、県下有数の川へと行く手前を下流へと折れて、古い家並みの小径を少し下ったところにある。裏手に回ると左手に田園が広がり、その先には新国道を頻繁に行き交う車の長い列が直線に近い滑らかな曲線を描いて見える。
 コンクリート3階建ての校舎は、4棟からなり平行して建っている。校舎と校舎の間に細長くのびた花壇に植えられた木々は、校舎を覆うようにまっすぐに立っている。
 本校は公立高校の総合学科制で、前期・後期の2学期制をとっており、定期考査は、前期中間・前期期末・後期中間・後期期末の年4回ある。生徒の成績・出欠席は百以上の科目を扱うため、パソコンで操作できるようになっており、各職員室に10台近くのクライアントパソコン(子機)と1階職員室の一角にある資料室に設置されたサーバーパソコン(親機)とが結ばれた校内電算処理システム、通称「学事システム」で行われていた。またそれとは別に、3階の情報準備室にあるサーバーパソコン(親機)とスイッチングハブ等のネットワーク機器を中心に、各教室・職員室・準備室等にあるクライアントパソコン(子機)を網羅した校内ラン(校内ネットワーク)があり、インターネット及び校務処理に利用していた。

情報管理課の仕事は、その学事システム、校内ラン、パソコンを含めた情報機器・視聴覚機器、インターネットに関するものであった。丸山先生は、昨年度本校に赴任し、教科は商業科に属し、今年度情報管理課長になっていた。商業の免許はなく、数学、情報の免許しかないため、商業の臨時免許状で対応しており、主にパソコンを使用した授業(情報A、文書処理、情報処理、プログラミング、計算事務)を担当していた。

本校の職員室に触れると、1階に校長室があり、同じ階の職員室には教頭をはじめ、教務、総務、情報管理課、特活課(生徒会関係)があり、同じ棟の2階の職員室に3年のクラス担任と進路課が、3階の職員室に1・2年のクラス担任がいた。他に職員室、準備室等が校内に分散していた。

学校教職員の組織について触れると、校長・教頭の管理職がおり、その次に課長等の主任がくる。特に、教育全般を掌る教務課、学校全体にかかわる総務課は学校業務の根幹をなし、その主任たる課長が、次期管理職の一歩手前のポストと見なされている。また、それとは別に、教科ごとに主任が置かれている。

 

1月26日(月)

 職員室に丸山先生と同じ講座をティームティーチングで受け持っており、商業科主任でもある三邦先生が現れた。三邦先生は、今年度赴任してきた先生で、3年のクラス担任であった。

仕事に追われて時間がない場合が多く、ちょっとした機会を作って話し合わないと機会を見失ってしまうことが多い。また、その講座は3年の講座で、授業回数の残りが頭をよぎったので、あわてて三邦先生を呼び止め、成績のことで相談した。その講座は、昨年の9月より商業科の取り決めで、三邦先生は同じ時間に開講している他の講座に応援にいっており、一人でやっている状態で、成績をどうつければよいか不安と迷いがあった。

「あなたといっしょに受け持っている情報処理の講座で、良くない生徒がいまして、あまり課題を出しません。あの生徒は、よそ見とお喋りばかりしている、この生徒はやるべきことをやらずにお絵かきばかりしている」

三邦先生は少し考え込み、やおら、

「その生徒達は課題を全く出さなんがか」

「課題は出すことは出しますが、他の生徒と比べて際立って少ないんです」

三邦先生は先を急いでいるようで、立ったまま、学事システムの画面に向って、

「それでは、また時間がある時に話し合おう」ということで終わった。

 

 1月29日(木) 

 1階の職員室のすぐ上にある視聴覚室で、定例の職員会議があり、その冒頭に吉沢校長から独特の低い抑揚のない声で次の話があった。

「年度末にあたり、各先生方にお願いしたいのですが、3年次卒業生の単位を落とすことのないように配慮ください」

それに対して、丸山先生は

「単位を落とすことがないようにとのことですが、授業中あっち向いている生徒がいて、授業が困難でどうにもならないという話を聞きます。どうしたらよいかという問題があるわけですが、昨年から言っている面倒見の良い学校とは何でしょうか」と訊いてみた。

「年度当初にいった通り、例えば分数がわからない生徒が数人いたとする。その生徒達に対して・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

校長は不意を突かれた様子であったが、言葉の意味をさぐるように淡々と説明した。

「それでは、あっち向いている生徒に対してどうするのですか。あなたは、適性がないのだから、他の分野に移ったらと、面倒見よく説明するのか。あるいは、うるさいから寝とれ。うるさくするな。迷惑をかけるな。追試験、再試験、何でもする。何でも面倒見たるのどちらですか」と訊いたが何の応答もないので、校長に視線を向けたまま、さらに続けてたたみかけるように、

「うるさいから寝とれ。うるさくするな。迷惑かけるな。追試験、再試験、何でもする。何でも面倒見たるだったら・・・・・・あの人寝ている。ここ寝室ですか。この人話しかけてくる。ここ談話室ですか。だったら誰もこないですよ」

「その点については、授業担当者で判断ください」そっけなく答えて、終わってしまった。

 それから議件が進行し、以前問題になった表彰状の件になった。滝地先生が真っ先に手を上げ質問した。

いつもの率直にいう口調で、

「本校は、総合学科であるから専門高等学校等卒業生成績優秀者表彰はおかしいのではないですか」

少し間があいて、答えるのに迫られた江島教務課長が、ゆっくり周囲を見ながら、一つひとつ言葉を選ぶように慎重に、

「規定があって20単位」と言い始めたところで、

大須磨教頭がその発言をさえぎるかのように、

「専門高等学校等卒業生成績優秀者表彰には、表彰規定がないのです」

滝地先生の表情が笑っているかのように見えた瞬間、滝地先生が鋭く追及して、

「表彰規定がない表彰があるのですか」

大須磨教頭は顔をわずかながら赤らめ、

「表彰規定がない表彰があるのです。本当です」とはっきり言って答えた。

再度確認するかのように滝地先生が、

「本当にないのですね」と大きな声で念を押すように言うと、

大須磨教頭はいつものゆっくりとしたとぎれとぎれの口調に戻り、

「表彰規定はありません」と答えた。

その瞬間、時間が止まったように思えるぐらいに静まりかえった。なりゆきを見守ろうとしたところ、誰もそれ以上の発言はなかった。

 大須磨教頭は本校に十数年の長きにわたり勤務され、本校歴では最古参であり、吉沢校長は昨年度赴任された。また楢崎先生は某高校の教頭を最後に停年退職され、講師として採用され本校に勤務している。楢崎先生は校長が初任の時の先輩であった。

 

1月30日(金)

 丸山先生が、朝、登校してみると、廊下から校長室の部屋の明かりが見えていた。時計を見たところ7時55分であった。事務室から校長室へ入るドアがあり、そのドアを少しあけると、校長はしきりに書き物をしていた。

「お話したいことがあるのですが」と言うと

「今、書き物をしているから、後にしてくれ」との返事があった。

1・2限と授業があったので、2限が終わって一段落した10時55分に校長室に行くと、業者と何やら話し合っており、「後にしてくれ」とのこと。そこで、職員室に戻ったところ、しばらくして電話がかかり「今ならいいぞ」という校長の声が電話から聞こえてきた。しかし、今そちらへ行くと職員室には誰もいなくなることを伝えたところ、「急いでいるのであれば、来てくれ」との返事があり、「急いでいない」と伝えたところ、昼食後に校長室に行くことになった。

 昼休み時間に昼食をとり、隣の先生と各情報室(コンピュータ室)や第3情報室に集められたノート型パソコンについて話し合ったりしていた。食後、何かのはずみに職員室を離れようとしたところ、大須磨教頭がついてくるのが感じられた。吉沢校長とだけ話がしたかったので、思い出したかのように、職員室に戻り、そのすぐ隣にある印刷室の奥にある洗面台で歯磨きをした。歯磨き後、一旦は職員室に戻り、歯磨きセットを片付けるのが普通だったが、教頭を意識して避けるようにすぐに校長室に行った。

 校長室に行くと、吉沢校長ただ一人であった。丸山先生は備え付けのソファーに座ると開口一番に言った。.

「誰もいない職員室。授業なのに生徒が廊下にいる。校内推薦で入ったのに、落ちる。就職がなくなる。この学校はおかしいのではないですか」

校長は憮然とした表情で、

「校長のせいと言うのですか」

丸山先生は、予期しない言葉に一瞬ひるんで、

「いや、そんなことを言っていません」

校長は語気を強め、

「おかしいのは、あなたです。あなた頭おかしいです」

話題を授業の方へ移して、

「授業が成立しない場合、昨日の職員会議で、生徒指導を厳しくするということですが、生徒指導は、生徒指導課ですか、教科の方ですか」と丸山先生は訊いた。

「当然、教科です。あたりまえじゃないですか」

「時間がないので、次の話ですが」

「教頭が、誰が考えてもおかしい表彰規定がない表彰なんて会議の席上、皆の前で言う。この学校おかしいのではないですか。密告があったらどうなるんですか」

校長は表情をこわばらせて、

「あるのですよ。そういう表彰なんです」

「では、この件調べてみます」丸山先生は咄嗟に言葉が走ると同時に立ち上がり去ろうとした。

「ちょっと待って」すがりつくような眼差しで校長が呼び止めた。

丸山先生が時計を見たところ、時間は午後1時16分であった。

「5限目の授業(午後1時20分開始)があって、時間がないのです」

吉沢校長の強い視線を感じたが、長年身についた授業への習慣があり、また第4情報室であるコンピュータ室を事前に開ける責任から、振り切るように校長室を出た。

 5限目の授業を終え、6限目の空き時間に3階にある職員室に行くと、1年の学年主任で社会科の瀬町先生が、単行本を読んでいた。

「表彰規定がない表彰なんてあるのですか。面倒見が良い学校て、何なのでしょうか」と瀬町先生に訊いたところ、

瀬町先生はしばらく黙っていたが、やおら堪えかねたように、

「あの(吉沢)校長やったら、やりかねんわ」

丸山先生は、その言葉に驚き、

「元教頭で商業科の講師として赴任してきた楢崎先生が、面倒見がいい学校について、よく職員室で言っていました。その学校つぶれたとのことでした」

さらに続けて、

「あの(吉沢)校長、この学校つぶす気なんですか」

瀬町先生はいつものにこやかさが消え、険しい口調で、

「(停年まで)もう2ヶ月、何もなく、済めばいいとだけ思っているんですよ。公務員、皆そうや。自分さえよければいいんや。自分の任期さえ、務めればいい。後はどうでもいいと考えている」

「そんなこと言っていたら、日本は無くなるのではないですか」

「教育については、3流国です。亡国ですよ。この学校は、10年前は、この地域で2番目に優秀だったのですが、今じゃ考えられないくらいですよ。今は、この地域のものが敬遠する学校になっている」

瀬町先生は嘆息し、国の行く末を案じる様子がひしひしと伝わってきた。

 

1月31日(土)

 朝9時頃、丸山先生が学校に出てみると職員室に3人の先生がいた。その内の総務課で職員会議の記録していた先生に訊いてみた。

「職員会議の議事録見せてください」

「いいですよ」

 そこで早速、面倒見の良い学校について触れてあるのところが、4月の職員会議にあるとのことを思い出し、該当の個所を調べた。その個所をコピーして良いか訊いてみたところ、だめであった。 記録していたのだから、細大漏らさず記憶していると思い、訊いてみた。

「表彰規定のない表彰状てあるのですか」

「あるのじゃないですか。もらえるものだったらいいんじゃないですか」と返事があった。

「普通、子供が表彰状もらってきたら、子供に何でもらったのか訊くのではないですか」と不思議に思って訊ねた。

「なんらかの成績の規定あるのでしょうねー」

「やっぱり、成績の規定あるのでしょう。やっぱりあるんだ」丸山先生は自分の認識を確認するかのように呟いた。
 このとき、昨日の吉沢校長の慌てている様子がはっきり頭をよぎった。3階にあり、丸山先生がよくいる情報準備室から階段を降りてくるとき、階段を上がってくる吉沢校長とすれ違ったが、表情が硬く考え込んでいるようであった。そのため、眼の焦点があわないのか、こちらに気づかない様子で、無言で通り過ぎていったのを思い出した。また、昨日の晩に娘の通っている中学校の地区懇談会でのことを思い出した。帰宅してすぐの午後7時過ぎ、妻といっしょに町の福祉会館に出かけた車中で校長が自宅に来ているとの娘からの携帯電話にびっくりして、娘に確認したが校長とは違うということで、よくわからないことがあった。

 何かあるとしかいえない。何かある。何かを隠し、恐れている。校長、教頭、教務、いや学校全体か。とまどいながらも、調べたいという強い衝動に駆られていった。

 教務のパソコンが、校内ランと一部つながっていたことを思い出した。昨年の12月に、第1情報室を商業科の先生と一緒に整備していたときにわかったのだが

生徒が使っているパソコンから、先生用のパソコンの中身が見えていたのである。それも校内ではパソコン通として知られてい

る大須磨教頭のパソコンの中身が見えたことを複数(商業科の先生)の眼で確認した。

「入試が近い。学事(システム)とは、関係ない。何かあったら、教務のせいや」広い職員室で、ぼそぼそと独り言を言った。

 それから、校内ランのサーバーパソコンが置いてある3階の情報準備室へ行った。つくとすぐに電話が鳴り、電話に出ると江島先生であった。

「さきほど職員室で、教務のパソコンがどうとかこうとかとのことで

すが、どういうことでしょうか」「前の職員会議でいったように、校内

ランは危険なのではないか。今は、教師エリアと生徒エリアが物理的

に遮断され、生徒用パソコンから、教師用パソコンに入ってこれない

ようになっている。しかし、この前まで、生徒パソコンから、先生用

パソコンの中身が見えた。今年の入試は大丈夫だろうか。昨年も含め

て、過去の入試データが改ざんされている可能性が否定できない」

「(大須磨)教頭が過去4年間教務にたずさわっていました」

「多くの先生方は、定期考査問題を校内ランにあるパソコンに保存し

ており、ひょっとして、定期考査問題、成績が漏洩、改ざんされてい

ることも否定できない」丸山先生は不安な気持ちを吐露して言った。

 

2月2日(月)

 昼休みの時間に3年のクラス担任がいる職員室に顔を出し、専門高等学校等卒業生成績優秀者表彰の表彰者はどのようにして選んだのですかと訊いたところ、漢字検定、簿記検定などのいろいろな検定の合格で選考したということだった。

 放課後、いっしょに持っている講座の良くない生徒について、三邦先生と話し合ったが、また同じことの繰り返しで、後で話し合うことになった。この講座は明日の授業が最後で、定期的に授業の補助に来てくれている活用支援スタッフさんも来ないので、最後の授業だし、一度来てくれないかと訊いたところ、授業に出れないということだった。

 4時半に、近くの新生高校の彗明先生より電話が情報準備室にかかってきた。実は、以前に電子メールで専門高等学校等卒業生成績優秀者表彰の表彰規定について問い合わせたことがあった。彗明先生は、新生高校において学事システムに長くたずさわり、学事システムがわからないときは、よく訊く仲になっていた。

 その電話の大筋の内容は、新生高校は農業高校で、総合学科ではない。新生高校は教育課程の単位面と設備面で専門高校の用件を満たしている。総合学科で、専門高校の基準を満たしているかの判断は、専門学科の部会で決めること。専門高等学校等卒業生成績優秀者表彰で表彰されるためには、本校の場合、商業の単位25単位以上が必要ということであった。

 やはり表彰規定はあった。本校では、実施教育課程上でも、商業で25単位もない。すなわち、本校では表彰してはいけない表彰状を今まで出してきたことになる。校長、教頭、教務課長、・・・はそのことを知っていて、隠し続けてきているし、隠し続けてきたことになる。また教育委員会に本校の実施教育課程表を毎年届けてあるのだから、教育委員会も知ろうと思えば、知れる立場にあったことがわかった。

 

2月3日(火)

 2限目は、情報処理(第1情報室)の今年度最後の授業があった。生徒の多くは、一心に副読本を読み、パソコンを操作し、課題の作品を作っていた。

しかし、何人かの生徒は相変わらず、授業に参加しない。女の裸の絵を描いていたり、座席移動したり、何もしようとせず、何か食べていそうな雰囲気の生徒もいた。操作についての質問も多く、実習の場合、一人じゃ大変であった。もう一人先生いてくれるはずだったのだが、別の情報処理の講座(第4情報室)に応援に行っていた。

昼休みの時間に学事システムの画面に11月6日の日が出ないことの原因を調べたところ、時間割変更の設定が間違っているのが原因であることがわかった。そのことを情報管理課の係りの先生に訊くと、このような設定をしていないと言う。担当部署である情報管理課以外に誰か、時間割を操作する人がいるのだろうかと不思議に思った。

 

2月4日(水)

 3限目は情報Aという科目で、進学クラスの授業(1年のクラスに近い第4情報室)であった。授業の当初から授業担当者用のパソコンのエラーが続出し、授業が進まなくなった。その間、生徒はどうしてよいかわからず、指示を出してくれとの不満が続出した。何をすれば良いかは、この前の授業で何をやったかわかれば自ずとわかるものだが、先生は指示するもので、生徒は指示されるものと思い込んでいる。

 しつこく食い下がってくる3人の生徒がいたので、隣の別室に読んで話を訊いてみた。その別室は、第4情報室の奥からすぐに入れるようになっており、授業中に問題のある生徒を指導するのに使っていた。

 生徒は興奮しながら話しており、卒業しても、指示がないと動けないようで、会社に入っても、上司の指示で動くという。それでは、その会社がなくなったらどうするのかと訊いたところ、別の会社に行くという。上司の言うことを、適否を自分で判断することなく、盲目的に従っていくということだった。

 今の時期、1年生は産業社会という科目で課された原稿をパソコンで清書作業することがあった。そこで例年第4情報室を使用するわけで、その第4情報室の使用のことで、丸山先生は3階の職員室にいる瀬町先生の方へ行った。瀬町先生が嘆息して言うには、「生徒の学力が低下していて、今になっても原稿が書けない生徒が少なからずいるのですよ。それを担任が指導するわけで大変なことです」

丸山先生は机の上に置いてある生徒の原稿の束に目を向けながら、

「そのような生徒は、職員会議で言ったように、適性がないのだから学校が面倒見よく、進路を変えさせる。やめさせたらどうですか」

瀬町先生は机に向ったままの姿勢で、丸山先生を見上げて、

「面倒見よい学校というのは、響きがよく、かっこいいのですが。あの(吉沢)校長、面倒見よいとは何かを示しませんでした。建前だけで通っているのですよ。社会も同じで、建前だけや」眉をひそめて言った。

「亡国という文字を使った書籍を見ますが、亡学校になりますか。学校がなくなったら、どうなるのですか」丸山先生が冗談のように言うと、

「少年の家、青年の家になるかな」瀬町先生は軽く応じた。

 放課後に校務運営委員会があり、来年度年間行事計画の再審議が行われた。

漢字検定は、教育目標ではないので、土日にしてはどうかという意見に対して、業者委託にしてはどうか。漢字検定と言わず、各種検定も土日に業者委託にしてはどうかという意見があった。それに対して、「業者委託は不必要」と簡単に吉沢校長に一蹴された。

 就職校内選考会議の日が校長会とぶつかっているという話になり、吉沢校長が言うには、遅れて出席するという話であった。「その会議で決めるとき、校長がいるのですか」と訊いたところ、「いない」という。この就職難のときに、就職校内選考会議の大事なときに、校長がいない。よっぽど校長会が大事だとわかった。

 特活課から提案があり、6月の体育祭を5月にもっていってはどうかという提案があった。しかし、前回の会議で、特活課の意見で、本来5月にあったものを6月にしたのに、一体どういうことかと非難があった。しかし、大須磨教頭の「よりよい形であればいいでしょう」という意見から再審議することになった。

 丸山先生は、窓の外に眼を向けると急速に暗くなっていくのがわかり、時計を見ると4時半をまわっていた。このままでは、だいぶ時間がかかってしまう。内心、体育祭を5月にしようが、6月にしようがどちらでも良い。特活課の中で充分審議して、提案してくれたら時間もかからなくて済んだのにと思うことしきりだった。校内ランの調査も残っており、また明日の人間ドックで今日午後9時までに病院につかなくてはいけないことを思い出し、会議を途中退席した。
 ようやく作業が終わり、午後7時20分に学校を出発した。外は、緩みない寒波に襲われたためか、白い粉が舞っていた。冬の自動車道をひたすら走り、午後8時50分に人間ドックを受診する病院に到着した。

 

  2月5日(木)人間ドック1日目

 朝の9時から検査が始まった。胃カメラの検査があり、待合室で待っているとき、近くの女性看護士に訊いてみた。

「胃カメラを以前受けたときは、大変苦しかったのですが、検査で死んだ人いますか」

「そんな人はいません。ただ、麻酔の副作用があります。何かアレルギーはありますか」彼女は乾いた口調で言った。

「それはないです」丸山先生は答えた。

その検査の順番がきて、胃の筋肉等を弱くする注射が打たれ、のどのうがい溶液を飲んで臨んだが、嘔吐が多くひどい目にあった。

 その後部屋に戻り、同室のドック患者に胃カメラの検査について訊いてみたところ、2年前は痛くなかったが、今の検査は痛かったと言う。

 部屋を出て看護婦に訊いてみると、胃カメラの検査ですが以前は麻酔を打って痛くなかったが、1年前に麻酔で呼吸停止にまでいった人がいて、麻酔を打つことをやめたという。それでは、麻酔を打つかどうかアンケートをとり、患者の判断にまかせたらどうかと訊いたところ、提案してみるということだった。
 1日目の検査が終わり、ドック患者に対して無料で受けられるサービスの中に、足つぼマッサージがあった。案内のあった通りに行くと、そこは離れの食堂と美容院の間にあった。足の裏を見せながら、足つぼのマッサージの人が話しかけてきた。
「職業の中で教員だけ過労死とぼけが多いですよ。また、アキレス腱を切る人が多いです」

丸山先生は、心にあたるものがあり頷いた。

「建前では、土日休みになっているにもかかわらず、土日まできてしなくてはいけない仕事がいっぱいあるのか。1年中、働き詰めではないか。学校では、忙しい人のところに、仕事がまわってくる。その人が死んだら、学校の機能が停止してしまう」

彼は、足の裏を覗き込んで、

「この足の裏、ひどい。割れています。いつ死んでもおかしくないです。軽石で足の裏を磨き、馬油を塗ればよい」溜息をつきながら言った。

「ためしてみます」と応じ、

彼は、しみじみとした口調で、諭すように、
「わたしは元教員です。中国で学んできました。中国奥地は、貧しいです。 その技術を、いろいろな人に伝え、雇用に役立てています。あなた教員をやめて、好きなことしたらいいですよ」

 午後6時半ごろ食事があり、その食事中「我々が注意すべき感染症とその対処法」というタイトルで、スクリーンを使ったプレゼンテーションがあった。

その話を聞いたドック患者が、手を上げ質問した。

「子どもを病院に連れていったところ、インフルエンザの陰性で座薬はボルタレンであった。しかし、今の話でアンヒバ以外危ないとわかる。インフルエンザに効くのはタミフルで、その薬がもらえるのは症状が出た3日後で、それでは遅いと思うのですがどうですか」

それに対して説明した人が答えて、

「そうですね・・・・・・。病院には人の話を聞かない人が多く、特にこの地方は多いんですよ」

丸山先生が間に入って、

「どれくらいの割合ですか」

「個人的な見解ですが、年齢に関係なく6割です」

「残りの4割の名簿をもらえないですか」

「それは無理です。個人的見解です」

 こうなるとどの医者にあたるか不安になる。もし人の話を聞かない医者にかかったら、最新のデータに疎いことから、間違った診断を下す恐れが高い。ひどい目にあい、最悪死に至るのか。今はやりのインフルエンザ。医者にかからないように予防が大事だとわかった。

 

2月6日(金) 人間ドック2日目

 丸山先生は大腸検査があり、待合室で隣に座った人に訊いてみた。

「きのうの胃カメラの検査は痛くなかったですか」

隣の人は老齢の婦人で、おとなしそうな人であった。 

「いえ、べつに。リラックスしてと言われました」

「異物なのだから、体がうけつけないのが普通ではないのですか」

「××医学協会の検査で、毎年ひっかかり、再検査を受けるように通知を受けます。その通知を受け、地元やこの病院にきて胃カメラでの精密検査。そしていつも言われるのです。胃の皮膚の一部が硬くなっているだけで異常はないと」

「それでは、検査を受ける必要はないのではないですか」
「わたしもそう思うのですが、××医学協会の検査はバリウムなので、詳しくわからないためか、毎年通知が来るのです」隣の人が説明を求めるような、諦めにも似た表情で言った。
 誰が考えても不必要な検査と思うが、検査関係者は誰もおかしいとは思わないのだろうか。

 大腸検査の医者の診断があり、大腸はきれいで大丈夫だが上の腸はどうかわからないという診断だった。部屋に戻ると、隣の人がしきりに大腸検査が痛かったと言っていた。詳しく訊いてみると、大腸がきれいだから、S字結腸を越え、まだ奥までいったということで、この病院は患者によって対応が違うことがわかった。

 

2月7日(土)

 自宅に帰った丸山先生は、人間ドックでの不思議な話を妻の一美に話して聞かせた。一美は勤め先の会社で労務の仕事に携わり、その道のベテランであった。

「足つぼのマッサージをしているの人の話では、職業の中で教員だけ過労死とぼけが多いという」

「週40時間を超えると労働基準法違反だわ」妻は事務的な口調で言った。

日頃の鬱憤を晴らすかのように、

「教員の場合1日8時間だが、午後7時近くまでいるのが当たり前の先生が少なからずいるどころか、ほとんどではないか。土日に検定試験、就職模試、進学模試の監督業務で朝から午後まで働き詰めだし、部活も働き詰め。昼休みはあるにはあるが、休む暇がない。また、春、夏、冬休みは行事、業務がいっぱいで、実質、盆と正月しか休めないのが実態。また、教員の場合、仕事の正確から自宅に持ち帰りの仕事が多くあり、24時間働き詰めでないか。これは、明らかに労働基準法違反ではないか」

「会社の場合、労働者の代表と会社との間に労働協定書、就業規則があり、労働協定書は毎年更新されるわ。まず教員の場合も同じものがあるはずだから、そこから調べてみては」

「もし労働基準法違反であればどうなるのだろうか」

「労働基準監督署には逮捕特権があるわ」

「もしそうであれば、県知事、教育長、校長は逮捕されるのか」丸山先生は想像を膨らませた。

 某新聞の新聞記事を思い出す。××電力のサービス残業発覚の見出しで、出退館記録やパソコンに残っていた文書の保存時刻、電子メールの送信時刻から発覚したという内容だった。

 どこかの本で教員の仕事が全職業で5番目に忙しいと書いてあったが、労働基準監督署の調査が入ったとは聞いたことがない。労働基準監督署は、教員の過労死、サービス残業の実態に対して目をつぶっているのだろうか。

 人間ドックへ行ったときのおかしく思ったことを話すと、一美が「人から聞いた話だけど、生活保護を民生委員に申し込むと月13万円がもらえる。ところが、最低賃金は11万円。年金でもそんなにもらっていない。それだったら、無理して働く必要がない。特に母子家庭は、無理して働き子どもを誰かに預け、11万円しかもらえなかったら何をしているかわからないわ」

「世の中には、おかしな事がいっぱいある」丸山先生は大きく頷いた。

「ここらへんの学校は、雪のために公共のバス、スクールバスが遅れた場合遅刻にはしないが、親が生徒を自家用車で送っていった場合で遅れた場合、遅刻にすると聞くわ。 こういう情報は、お母さんどうしのネットワークでわかり、そのネットワークに入れないお母さんの子供が、不利な状態になっているわ」

妻の一美が思いを吐き出すように言った。

 

2月13日(金)

 午前9時に学校の図書室に行くと、滝地先生が司書室奥の机に向かって本を読んでいた。司書室へつながる扉を開け、

「専門高校等の表彰についてわかりました。新生高校の彗明先生に問い合わせたところ、本校の場合、商業で25単位以上必要とのこと。また表彰は、商業の校長会の判断で、学校の判断ではないということでした」丸山先生が得々と説明した。

滝地先生の顔色が変わり、

「そうやろ! 表彰規定があるんだろう。商業の科目は本校の場合、25単位もないだろう。商業以外の単位を何かで読み替えなくてはいけない。 あの教頭、全職員の前で、専門高等学校等卒業生成績優秀者表彰の表彰は表彰規定がないといった。そして、私が本当に『ないのですね』といったとき、本当に『ない』と教頭がはっきり全教職員の前で言った」鬼の首をつかんだような表情で、声高に言った。

「そういう間違いがあったら、次の教務課長に責任が問われる恐れがあり、なり手がいなくなるのではないですか」

滝地先生は少し上ずった口調で、

「この表彰は表彰規定がないまま、ずっと続けるのではないか。校長、教頭の意にかなう教員が教頭になり、校長になるのが実態です。わたしは、『まっとうなことを言う滝地』で有名ですから、校長に疎まれて飛ばされてきました。今も他の学校に飛ばされるのではないか」

丸山先生は元来の正義感なのかよけいなことに関わってしまったことに不安を覚えた。

「わたしも、あたりまえのことを言っているはずですが、よけいなことを言ったのかな。私も飛ばされそうです。そういうまっとうなことが言えないのが学校の伝統なんですかね」

滝地先生は、司書室の中を行ったり来たりしながら、厳しい口調で、

「学校そのものがおかしい。皆、おかしいと思っていても問題にしない。表彰規定がない表彰状なんて全く意味がない。あの芥川賞を受賞した者は、不登校だったという。学校にこないほうがよっぽどいい」

「そうですね」丸山先生は軽く頷いた。

就職校内選考会議の問題で、例年校長が出席していないのか、校長の出席を求めたのに、遅刻するということがわかったことに触れて、滝地先生が、ひっそりとした口調になり、

「就職校内選考会議では、職安の所長の代理として、校長が出席しなくてはいけないのです。校長が出席しなくてはいけない会議は、他にも多くあるのですよ」

さらに熱が入り続けて、

「本校の卒業生が、就職後すぐやめるということ。普通でないやり方で、就職させているのではないか。企業はそれを見抜いているのではないか」

丸山先生は表彰状の問題をどうするかを迷っていた。

「専門高等学校等卒業生成績優秀者表彰の表彰規定ですが、どうやって、誰が調べるのですか」

「(県)教育委員会の指導主事に訊けばよいと思います。最近いろいろ変わっていますから。商業科が調べるべきです」滝地先生が噛んで含めるように言った。

 午前10時に丸山先生は校内ランのことで2階にある進路指導室へ行った。そこに芸術科の先生が隣の先生と話していたが、話が途切れたところで、

「デザイン室に校内ランの線が延びています。そこに、マック(マッキントッシュ)のパソコンを入れたらという話があるのですが」と訊いた。

「デザイン室にマックのパソコンをいれたら、美術科には好都合です。しかし、美術の部屋は3階しかなく、たくさん美術の講座があり、部屋が足りないのです。」と答えた。

これ以降の会話のやりとりから、火事のとき危険であることがわかった。奥の教室からでしか非常階段へ行くことができなく、2階の書道室に生徒がいた場合、奥の福祉実習室には鍵がかかっており、2階は燃えるものが多い。また、1階は調理室で、その近くの地下に重油タンクがある。火事になったら最後、「生徒は黒こげだ」と苦笑していた。そのこと、(吉沢)校長、(大須磨)教頭は知っているという。 その重油タンクの上に職員の車があり、いつ陥没するかわからないという。そこで引火したら、車が燃え、校舎が燃えるという大惨事。問題が起きてからでないと動かないのか。あの非常階段があそこにあるのは、重油タンクへ運ぶトラックのためという。 県の設計がいいかげんなのではないか。 こんな状態で、消防がなぜ認可したのか。調査がいいかげんなのではないか。避難訓練のときだけ、鍵を開けるという。何のための避難訓練なのだろうかと疑問に思うことしきりだった。

 12時40分に3年の成績をどうつけるかの商業科会議があった。

「以前、お話しをした情報処理の講座に、一人未履修者が出ました。1時間オーバーです」丸山先生が口火を切った。

「間違いないか」確認をとるように三邦先生が言った。

「何度も確認しています。クラス担任にも確認してもらっています。間違いないです」

商業科の楢崎先生が、

「授業で悪さをする子がいます。その生徒が、別の生徒にちょっかいをかけるため、その別の生徒が勉強できなくなっています」とほとほと困っているといった表情で言った。

「世情が厳しくなっており、教員の授業を評価するという。態度のように主観が入る要素の割合を多くとるわけにはいかなくなっている。弁護士もそこをついてくる」三邦先生が淡々とたしなめるように言った。

 日本の学校教育は、少数の人間が巻き起こしたことにより、全体が迷惑するという構図が多くあり、それを取り除くことができないという。その少数の人権を守るために、まわりの人間のあの手、この手を使う。

 丸山先生が楢崎先生に対して

「情報処理の授業でAという生徒の出欠が学事(システム)では欠時限度(科目の単位が履修されるための最大欠席時数)を超えているのですが、間違いないですか」と訊いた。

「この(教務)手帳いい加減だから、学事(システム)で直してくれ」

「え、学事(システム)はあなたの手帳のデータが正しいということで動いています。(あなたが、その講座の出欠担当だから、あなたしかわかりません。)学事(システム)をどう直せばよいのですか」問い詰めるように訊いた。

「Aという生徒は、前期××、後期××にしてくれ。」

「それでは、(学事システムの)集計結果を訂正します」楢崎先生の顔を覗き込むながら応じた。

 

 午後3時に、丸山先生と楢崎先生が情報準備室とその廊下にいて、そこから見える3階建ての美術の棟をいっしょに眺めていた。
 右手の下側には、スレート屋根の渡り廊下が見え、対面の美術の棟へ、また右手の奥のプレハブ造りの格技場へとつながっている。反対側の左手には、美術の棟から下へと降りている非常階段が見える。下を見おろすと、2階に書道室、1階の調理室が見え、暗くなっている。さらに地面には、円形のマンホールの蓋が点々と並んでおり、そのまわりは2つの棟にはさまれているためか、ひんやりと湿っている。スレート屋根に止まっていた黒い小さな鳥が、西陽が映える空へと斜めに直線を描いていくのが目に映った。

丸山先生がふと思いついて、

「あそこに見えるあの建物の3階のデザイン室にマックのパソコンを持っていく場合、好都合という話があることがわかりました」

楢崎先生は窓辺に近寄り、眼をこらして、
「あの建物の隣にプレハブがありますが、そこに3階建ての建物を作る計画があります。その3階に美術の部屋ができる予定です」

「それならば、美術の教室が足りない問題が解消されます。計画はうまくいくのですか」楢崎先生の視線の先をさぐるように訊いた。

楢崎先生の多くの年輪を刻んだような顔が物憂げになり、

「校長の仕事ですが、地声が大きくないとうまくいかない。日本の場合、少数の声の強いものによって主導される。個人主義だよ 。生徒個人の成果が問われ、それが成績になるが全体の成果は問われない要素がある。生徒一人を救うために全体が壊れる。それが今の実態だよ。どうすることもできません」と呟くと、目を閉じ、その瞼に仄かな力が感じられ、陽に照らされていた。

 

2月16日(月)

 職員朝礼が終わった後に、体育科の先生より野外実習という科目を学事システムに登録して欲しいという依頼があった。野外実習は、不定期に行われることから、年度当初の学事システムへの科目登録が未だされていなかったのである。

11時40分に3年生の成績結果について商業科の会議があり、以下の通りの報告があった。

 

3BC情報処理(場所:第1情報室 担当:三邦先生と丸山先生)

欠時限度オーバーのため未履修者1名 

赤点2人(理由は検定に一回も出ていないため0点扱い。その内一人は、授業は真面目だったが、規定の30点以上に到達しなかった。)

赤点3人(理由は授業中に寝ていたり、お絵かき、むやみに座席移動したりして態度不良。授業に参加していないので、出席点は0点。検定である程度点数をとっているが、総合的に赤点をつけた。)

3BC情報処理(場所:第4情報室 担当:楢崎先生9月より応援に三邦先生が加わる)

・赤点 なし

3JK情報処理(場所:第1情報室 担当:三邦先生)

赤点 なし

3JK情報処理(場所:第4情報室 担当:丸山先生と楢崎先生)

赤点 2人

簿記(担当 楢崎先生)

赤点 なし

プログラミング(担当 ××先生)

欠時限度オーバーのため未履修者1名 

 

主任の三邦先生が成績表を見て、丸山先生に向かって、 

「あなたの講座に赤点が5人もいて、他の講座とのバランスが悪いのですが」

と言った。

「検定・定期考査の成績は5割で、提出物含む態度で3割、出席で2割ということで、前期成績、後期成績をそのルールのもとに出しました」

「授業に参加していようがいまいが、実際にその場所にいるのだから、出席点0点はあんまりではないですか」

「実態にあわせて、出席点をつけましたが。実際に授業に参加していようがいまいが、その場所にいることで、出席としてカウントし、出席点をつけるのであれば、その3人とも検定である程度、点数をとっていますので、赤点にはなりません」

「ではそうしてください」主任の三邦先生が安心したように言った。

「確認しますが、課題も提出し、真面目な生徒が赤点になり、授業で不真面目な生徒が、検定・定期考査で点数をとっているため、赤点にならない。それで、よろしいですか」と丸山先生は訊いてみた。

「しかたがないことですが、そうなります」と返答があった。

 6限目の空き時間に、今朝、依頼のあった野外実習の学事システムへの登録の件で、学事システムのサポート会社と電話でやりとりをしていた。そのやりとりの中で、野外実習についてどんな科目かわからず、しきりに学事システムの画面を見て操作していた体育科の尾坂先生に訊いてみた。

「野外実習らしい科目ですが、どのような科目ですか」

尾坂先生はいきりたち、強い口調で

「野外実習らしいて、どういうことや。その『らしい』てどういう意味や」

時間がないのでそのままにして、依頼者の先生のところへ訊きにいったところ野外実習の参加生徒は2人で、成績を入力できるようにして欲しいとのことだった。

野外実習の科目について対応していたため、放課後の校務運営委員会に少し遅れて参加した。

年間行事計画の件で成績伝票提出というのが入っており、学事システムが導入されてからは必要のないものになっていたので削除するように求めた。学事システムが導入されて3年もたっているのに、未だにその名前が残っていることは、3年間も間違いが続いていたことになる。その間、誰も不思議に思わなかったのだろうか。

卒業生の皆勤者表彰の件があった。大雪で公共のバス、スクールバスが遅れた場合は、遅刻にはしないが、同じ状況で、生徒が保護者の自家用車で送ってもらって遅れた場合、遅刻にしているという噂がありますと言ったところ、大須磨教頭は事実だと言い、吉沢校長は何も問題がないということだった。

生徒会功労者推薦の件で、部活動で功績のあったDという生徒は、名前が挙がらなかった。その理由は、遅刻が多かったり、大会に参加しないことがあったからだという。詳しく事情を訊くと、経済的理由によるものらしく、やむをえない理由があるということだった。

 丸山先生は楢崎先生とのやりとりを思い出した。校内ランの配線の関係から、第2情報室にあるマックのパソコンを美術のデザイン室に移動してはどうか。 1階職員室と美術のデザイン室の間の中庭の地下に重油タンクがあるという。 あそこに駐車することがありますが、危険ではないか。今、プレハブの建物で、剣道部、空手部等が練習していますが、あそこに3階建ての建物がたつということですが、どの程度進んでいるのかと訊いてみたところ、芸術科の先生がマックのことについて、よけいな口をはさむなということであった。

 美術科主任を含む2人がマックのデザイン室への移動を希望しているにもかかわらず、このことをこの会議に持ち込むなというのはわからなかったが他に意見もなく終わってしまった。

 会議終了後の午後5時半に、一旦は1階の職員室に入ろうとしたが、体育科であり総務課長の尾坂先生のいきりたっていた様子を思い出し、2階への階段を駆け上がろうとしたときに、尾坂先生に会った。

「何か、ご用ありますか」と言うと

鋭い口調で怒鳴って言うには、

「野外実習らしいとは何や。いいかげんにせいや」

階段のことでもあったからか、

「ちょっと来い」

連れていかれたところが、職員室の隣にある会議室の廊下で、会議室は喫煙場所になっていた。

「野外実習についてわからないから訊きました」
「野外実習については、以前から何度も放送等で言うとるぞ。おまえ本校の職員か。野外実習らしいとはどういうことや」怒気を含んだあたりの空気をふるわせる声で言った。
 あまりにも怒鳴り声が大きくて、職員室から一人出て来て、廊下でそんな声を出されると困ると言うことで、中の会議室に入った。そこには、大須磨教頭と元生徒指導課長がいた。
「野外実習の科目は、学事(システム)には昨年ありませんでした。今年、新たに学事(システム)に登録してほしいことを、今日の朝、聞きました。明日、学事(システム)の締め切りなんですよ。その仕事を、本日の7時半までにしなくては、いけない気持ちをわかってください。あなたの、わたしが『らしい』と表現したことに対して不満を持っていることはわかりました」
 丸山先生はこう言って、まるく収めたが、『本校の職員か』という言葉が気になった。
 午後7時をまわった頃、事務室だけがいつものように明るく、中にいつも会う警備員が終わるのを待っているかのようにいた。その事務室から、体育科で特活課長の国元先生に電話で野外実習について正式名称を訊くがわからないと言う。教育課程表で調べたら、野外実習の科目がなく似た言葉に野外活動があった。この学校では機械警備になっており、午後7時半前には下校しなくてはいけなかったため、時間が迫っている。学事システムへの登録は一時中断し、明日に持ち越すことにした。

  2月17日(火)
 午後1時半より推薦入学判定会議があり、終わったのが4時ごろであった。丸山先生は1階の職員室に戻り、先程の会議で話題になった件で、古くからいる楢崎先生に訊いてみた。
「サーカー部での活動が推薦条件で、実際入学してサーカー部が廃部になった例はないのですか」

楢崎先生は一瞬ためらう風情があったが、目元が潤むと、口を開いた。
「実際にそのようなことがあった。吉沢校長にしても前校長から引き継ぎがあったはずだし、大須磨教頭は昔からおり、事の経緯は知っている」

と楢崎先生が言ったところで、天井を睨み、

「あの狸め」と罵り、

過去の記憶をたぐるかのように、
「情報処理の講座にいるB君は、そのサーカー部の主将だった。2年にあがるときに廃部になり暴れたのです」

「そしてどうなったのですか」丸山先生はその記憶の糸をいっしょにたぐりよせるかのように言った。
「謹慎処分になりました」

楢崎先生の目元が潤み、視線が宙を舞った。
「B君は2年のときから知っています。能力的には高い子でしたが、なぜもっと努力しようとしないのか不思議でした。同情しますよ。サーカーをやりたいから本校に入学して、1年で廃部。そんなことあったら、誰だって暴れますよ。他にどの生徒がいましたか」
「1学年に5名くらいだから、10名くらいですか。どの子もサーカーを続けていたら、問題をおこさなかったと思います。サーカー部に入る者は、問題をかかえている者、学業優秀で大学進学を狙う生徒ありと、多彩な能力の集団でした。しかし、その部を担当する者がいなかったのです」楢崎先生は自分に言い聞かせるように淀みなく喋った。
「そんなことがあったのですか」丸山先生はしみじみとした気持になり、頷いた。
 サーカーをしたいで本校に入り、結局は裏切られる結果。原因を作った学校が裁かれず、 被害者の生徒が裁かれるという構図。人を育てるはずの学校が、生徒の気持ちを踏みにじり、糾弾し、人をだめにする。人をだめにするのが、この学校なのか。学校は、その生徒達へ謝罪すべきではないのか。
 楢崎先生 はサーカー部の顧問だったという。B君は今年卒業予定で楢崎先生 は現在も本校にいる。だったらサーカー部を廃部しなくてもよかったのではないかと疑問に思った。そこで訊いてみた。
「どうして廃部になったのですか」
「継続して、部活動に担当する者がいなかったのですよ。私、顧問でしたが、3月下旬で任期が切れる講師ですからだめなのです。それで廃部となりました」

  2月18日(水)
 3限と5限に情報Aの授業があった。産業社会のキャリアプランの発表に合わせ、パワーポイントというパソコンソフトで資料を作成させた。早く終わったものから、ウェブページの閲覧・メールの送受信・画像処理・教科書の熟読、タイピング練習という指示を出したところ、仕事のできる、できないが一目瞭然になった。仕事のできる者はさっとやって、チャイムと同時に出て行く。さっとやって一番だったのが、よく問題をおこしている生徒とは驚いた。仕事のできない者は最後まで残っている。先生に再度訊かないとわからない者がいる。この生徒達は、いざ就職したときに役に立つのだろうかと疑問に思った。

 図書室へいったとき、推薦規定が曖昧で推薦規定がないように思ってしまうのですがそれでよろしいのですかと滝地先生に訊いたところ、本校はおかしいことだらけ。何でもつつくと、何でもゆがんでいく。とっとと早く出て行く(異動)ことが一番ですとの返答があった。


  2月19日(木)  
 8時半丸山先生は江島先生に学事システムのエラーが直っていないことを連絡した。

「学事(システム)のエラーがあり、サポート会社(学事システム導入にあたって、サポート契約している会社)に連絡して調べてもらっているところです。そのとき、要求のあった電子ファイルをサポート会社に送りました」
「(電子ファイル上にある)生徒の個人情報が流れていますが、校長、教頭に許可をとっていますか」と江島先生は、あらたまった口調で言った。
「こちらで直せない学事(システム)のエラーは、以前から、成績、個人情報の入った電子ファイルを送っています」
「校長、教頭に許可とった方がいいと思いますが」と忠告を受けた。
 今までサポート会社の言う通りに、それしかないと思って行動しており、許可のことまでは頭になかった。早速その許可をとりに9時頃に校長室へ行った。
 丸山先生が吉沢校長に事の経緯を伝えたところ、サポート会社の依頼で個人情報の入った電子ファイルを送信することは仕方がないということであった。吉沢校長の顔を見て、ふと学事システムの事で危惧していることを思い出した。
「情報の開示があって学事システムにある出欠を調べられたときに、もし不整合があったら、困ることがないかということです。すなわち、1日休んでいる生徒がその時限だけ出席とか、どうしてもつじつまが合わないことが出てきたときどうするか。そこで一番問題なのは、卒業ができるのにできない。あるいは、卒業ができないのに、できてしまうということを絶対になくさなくてはいけないことです。本当は全生徒を調べることが必要ですが、とりあえず卒業判定会議が近いことから 卒業判定が微妙な生徒だけに対象を絞って、教科がもっている講座の出欠情報とクラス担任が持っている日々の出欠情報の整合性を確かめ、説明できるようにしたらどうかと思います」丸山先生は一気に吐き出すようにまくしたてた。
 吉沢校長はパソコンに疎く、どうしてよいか困った顔をしていた。(実は、校長専用のメールアドレスの設定を依頼されたことがあり、アカウント名○○○○、パスワードは××××と設定したことがあった)すぐに大須磨教頭が呼ばれた。再度同じ事を校長、教頭の前で説明したところ、もう一度前期に戻って調べ直すことを、いまさらお願いすることは無理だし、前期あれだけ確認したのだから、何のための確認だかわからなくなるという理由で、調べる必要はないということになった。なお、サポート会社に送信する電子ファイルについては、やむをえないということで許可されることになった。

  2月20日(金)
 10時40分過ぎに、図書室に図書課長の滝地先生を訊ねると、司書一人がいるだけだった。
「司書協議会で朝読(朝の10分間読書)は学力向上に、また生徒指導上にも良いと聞きましたので、職員会議で提案してみてはどうかと思って来たのですが、滝地先生はいないのですね」

いつもの人懐こい笑顔で、
「あいにく席をはずしています」

丸山先生は誰かに話を聞いてもらいたい気持で、
「授業でのことですが、1ヶ月以上かかっても産業社会に課せられたキャリアプランの原稿を150字程度しか書けない生徒がいます。パソコンでの入力どころではありません。学力が低すぎて、職場体験にいっても行った先の名と作業名しかわからなく、感想が書けないのです。そういう生徒は、学校に行かずに、蕎麦打ちのような作業をさせる方がよっぽどよいと思います」

司書は怪訝そうに丸山先生を見上げて、
「教える立場にはないのでわかりません」
 そこで、丸山先生はその生徒がいる学年の主任である瀬町先生を訊ねて、先ほど図書室で話した事を言うと、
「文部科学省の方針で、スーパーハイスクールは予算が多い。それ以外の底辺校は、予算が少なく、おもりしてくれさえすればよい。底辺校は矛盾だらけ。講座でも大学進学用の5、6人の講座もあれば、30人以上を1人の先生がもつ講座がある。その授業の大変の差は何でしょう。 一方は、自習させておいても大丈夫な生徒の講座。片方は、ほっとくと何をするかわからない問題を抱えた生徒がいる場合が多く、人数の多さも考えれば、大変さの差があまりにも多い。それで授業のコマ数が平等だから、平等というのは、あまりにもおかしい。評価にしても、態度がおかしい生徒を何とかするために、態度、出席の点数割合を多くしても、試験の成績が良いと単位が取れてしまう。また、行儀よくすわっているだけで、何もわからず試験の成績がたとえ0点であっても単位が取れてしまう。結局、授業の目標に何一つ達成しなくても、単位を出さなくてはいけない状況。他の科目も同じ状況だとすると、何もわからず卒業ということが起きてしまう」瀬町先生の口から、淀みなく教育に対する痛烈な批判が滑らかに降ってきた。

 卒業証書ははたして意味があるのだろうか。決められた時間に決められた場所にいるだけで卒業。そのような生徒は学力が身につかないのだから、学校にいかずに蕎麦うちとかの作業をさせて、その道に熟練させた方が、本人のことを考えたら良いのではないか。また、卒業後就職しようとしても就職ができないだろうし、就職できたとしても役に立たないか単純な作業に甘んじなければならないだろう。学力がついていない若者の多くが学校にいくという選択をすることにより、人生にとって無駄な時間を浪費してしまう結果になっているのではないか。
 そう考えるに及び、丸山先生は約20年前の初任の頃、卒業証書を大学に返しに行った記憶を思い出した。大学のとき、何かのきっかけで『とらわれの身』になり、卒業が取り消しになるのではないかと思い悩んだ時期があった。何もする気がなく、来る日も来る日も寝てばかりいて、学業に身が入らず、相談にばかり行く日々を送っていた。早稲田大学の学籍抹消事件が決定的となった。
 これは、大学で学んだという歴史の否定であった。過去の歴史が否定されるということが、いかに青少年に苦痛と打撃を与えるか。過去の歴史の否定と言えば、戦後の歴史は戦前という過去の歴史の否定から始まったと言えよう。過去の歴史の否定が、根を張ることを忘れた植物のように浮遊物と化していく。浮遊物は、まわりの空気、水によって流されていく。ただ、ひたすら流されていく。そこには、流されてきた自分とその流れに逆らいたいという自分があった。
 放課後、2月の職員会議があった。仮入学のプリントを見て丸山先生は吉沢校長に訊いてみた。
「仮入学のプリントの中に誓約書があり、その文面には学校側の言うことを聞きますとの内容の誓約で、保護者の押印があります。言うことを聞かない生徒の責任は保護者ということですか」
 吉沢校長はどう答えればよいかわからず、後で話すからで終わり、先に議件が進んでしばらくしてから、「先程の質問に答えます。例年どおりです」
質問の答えになっていないと思い、
「保護者の責任ということですね」と訊いたところ、吉沢校長が答えたのは、
「昨年通りです。ご自分で判断ください」
 わからないから訊いているのも関わらず、自分で判断してとの返答。面倒見の良い学校も教科で判断してとの返答で校長の判断がなかったのが共通していると思った。
 生徒会功労者表彰の表彰者を誰にするかの問題で校務運営委員会で話題に出たDの名前がないことに丸山先生は気づき、提案者に訊いてみた。
「生徒Dは、やむをえない理由で学校を休んだり、部の競技大会に出場できなかったことがあると聞いています。家庭では経済的に大変で、父を助けお手伝いをしていると聞きます。人物良好というのは、学校と家庭の両方を見るべきで、応援したいし、表彰させたいと思うのですがどうですか」と提案したところ、それに対しての意見が交わされたが、一番ネックになっているのは欠席が多いのが難点になっていることだった。他の表彰があればということになり、同窓会で表彰されるように前向きに提案したいこととなった。生徒Dの部の顧問である江島先生から何の弁護もなかったのを不思議に思った。
 不登校認定で単位を出していきたいとの提案があり訊いてみた。 
「学校にきているのは何日ですか」
司会の大須磨教頭が
「そんなこと教える必要ないです。規定により処理しています」すぐさま言った。
 職員会議の議件・連絡事項が消化されたにも関わらず、重油タンクが地下に埋蔵されていて、(職員が車を止めると)危険であると、校務運営委員会で話したのに何の連絡もないのがわからないので訊いてみた。
「1階職員室と美術の棟の間に、重油タンクが埋蔵されていることは事実ですか」
 吉沢校長はしきりに左右の教頭、事務長に眼を配り、きょろきょろしていた。どうしてよいかわからない状態で、間がもたなくなり、言葉に窮したのか隣の事務長を見て、「事務に後で訊いてください」との応答であった。

「その事実が『ある』のか『ない』のか教えてください」と言ったところ、

事実が『ある』とも『なし』ともその場で答えてもらえなかった。
 次に、校務運営委員会で話さなかったことを話してよいかと許可を求めたところ、話してよいと言うことで訊いてみた。
「ある美術の先生の話では美術の棟の2階の書道室から火事があったら、非常に危険と聞きました」
反対側にいた当の美術の先生が大きく手を振って、丸山先生の聞き間違いだと言わんばかりに、「それは大丈夫。大丈夫だよ」との声が降ってきた。
 言ってはいけないことを言ったのか。恐れを知らない損得なしの無鉄砲さから、次の事もついでに訊いてみた。
「楢崎先生の話ですが、今のプレハブは・・・」
と言いかけたところで、ある教員の怒声に似た一言があった。
「生徒またしているんや、やめてくれ」
それから、大須磨教頭が「いい時間に終わりました」と言って、職員会議が終わった。
 校長の真上に掛けてある時計を見ると、5時5分少し前であった。従来の職員会議の多くは、勤務時間終了の5時5分すぎても、何も文句も出ないのにと思うことしきりだった。
 1階の職員室の戻ったところ、楢崎先生が顔をしかめて言うには、
「あんなこといっちゃ困る。大人なんだから。場所をわきまえないと」
「いつ言えばいいのですか」と訊いたところ
楢崎先生は、何かを言おうとしたが、目をふせ、黙ってしまった。
 この学校には、触れてはいけないことがあるようです。問題にしてはいけない内容あるようです。それがわかるのは、本校に一番古くから勤務していた大須磨教頭か。あるいは、・・・・・・・・・。ふと、丸山先生は土日にくると必ず大須磨教頭がいて教務専用のパソコンでことこつと作業していた姿を思い出した。あるいはその教務専用のパソコンの中にあるものか。わかりません。
 
  2月24日(火)
 午前8時20分頃に現れた三邦先生に産振(産業振興会の略で5年に1回コンピュータを新しく更新することができ、古いパソコンは廃棄していた)で廃棄になるパソコン類を職員向けに案内してはどうかと訊いてみたところ、
「何でそんなもんしなくてはいけないんだ」との返答があり、取り合おうとはしなかった。
 1時半に卒業判定会議があり、3時に終了した。会議終了直後に単位の認定について訊こうとしたが、教頭が教務に訊いてくれということで、1階の職員室に戻ったところで江島先生に訊いてみた。
「チーンと座っている子がいるのですが、学力が低くて、情報Aの目標(
単にコンピュータや情報通信ネットワークを使うことを学ばせるのではなく、情報手段を適切に選択して活用し、情報の特性を理解し、よりよい情報社会の創造に貢献しようとする態度を育てていくこと)に、どう考えても届かないのです。 ただ、チーンと行儀よく座っているので、出席点、態度点合わせて、50点満点だとすると、単位がとれてしまいます。それでよいのかわかりません」
「難しい質問ですね。教科で考えることだけれども、単位は出すべきですね」との返答があった。
 午後4時、ウィルス対策ソフトを進路課のパソコンにインストール中、ファイルが壊れているという画面が出てきた。そこで、三邦先生が県の教育員会からもらってきたウィルス対策ソフトを思い出し、そのCD―ROMのバックアップをしに情報準備室へいった。そこに商業科の先生がいて、なにやら作業をしていた。そこで先程、江島先生に話した事を言うと、
「単位は出すべきで、シラバスというのは全く意味のないこと。教科の目標から大分ずれていたとしても、単位は出す。あれ(シラバスの内容)は、建前で、実際はまるで違うことをやっている。情報公開で、外部の者が来たら、そのときだけ、指定の教科書を持ってこさせ、そのときだけの授業を、いつもやっているというように、演技しなくてはいけない」と言うことだった。
 5時過ぎに、焼き付けたバックアップCD―ROMを持って進路課にいったところ、大須磨教頭と情報管理課の先生がおり、パソコンの印刷ができないエラーに対して印刷ができるように処置していた。印刷については、切り替え機を交換すればうまくいくという話があり、切り替え機は、今、産振で、旧のパソコン類を廃棄するときで、これと同じものがあればよいし、なければ、買うしかない。 ただ、昔のものだから、今売っているかわからないという報告だった。
 午後6時に2階にある3年の職員室を覗くと、ある担任が会議で認められた単位認定のための補習について、該当の生徒へ連絡しているところだった。丸山先生は訊いてみた。
「生徒への連絡大変ですね」

彼女はいつもの優しい笑みを曇らせて、
「2人の生徒とも片親なんですよ」
「問題のある生徒ほど、仕事させたら、しっかりこなすんですよ。しかし、学業が優秀だと思われる生徒がぐだぐだ言いながら、仕事が遅いのですが」丸山先生が問い掛けると、

彼女はこちらに振り向き、笑みを浮かべて、
「問題をかかえている子は、アルバイトで仕事をしっかりしていますよ」
「外での仕事でがんばっているのだから、問題ないのではないですか。問題は、学業をやっている生徒で、仕事ができない生徒ですよ」
「そうですね・・・・・・」彼女は軽く頷いた。

  2月25日(水)
 丸山先生が学校に行く出掛けの7時30分に妻の一美が何を思ったのか知れないが、
「学校の場合、ひたすら校長になるまで事なかれに終始し、校長になってから、自分の思う通りにやっていくのが無難だわ」
「しかし、学校がなくなっては、どうにもならないだろう。どんどん学校がなくなっていっているよ」
「社会保険料、年金保険料、・・・・が、毎年少しずつあがっていく。そのたびに書き換えし、手間と費用がかかってしょうがないわ」
「国家が破綻することが、わかりきっているから、だれも年金保険料なんか払わない。当然だよ。今じゃ強制取り立てが進行中」
 丸山先生は口から出た「わかりきっている」という言葉の意味をさぐるように、ぼそっと、
「わかりきっているか」
 8時20分頃、丸山先生は江島先生に昨日の話の続きをしてみた。
「(各教科で実施している)検定日は教育課程とは違う目的ということで土日にあります。この日に出席したのであれば、授業時数としてカウントして欠時(欠席した時数)を減らせば、単位の履修が認められるのではないか。実際、そうすれば私の授業で未履修の生徒が履修となり単位が認定されます」

江島先生は淡々とした口調で、
「それは、できません。決められた時間をこなすのが条件になります」
「昨日言ったように、チーンと行儀よくすわっているだけで、出席点、態度から単位を出し、卒業していくとしたら、生徒が何時間か授業時数が不足しているだけで、卒業できなくなったらおかしくなるのではないかと思う。学校の教育目標から言えば、ずっと、チーンと行儀よくすわっている生徒より教育目標に近いのですが」
その時、別の用件がきて話が途切れてしまった。教務課長ともなると多忙を極め、次から次へと話がくるのである。
 職員室の中の会話で
「教育委員会は、現場で考えよというけれど、不都合になると、何で指示を守らなかったと言う」
私の席の近くにソファーがあり、そのソファーに数人座っており、
「学校の目的は、1生徒に時間を守らせること。2単純作業をさせること。3教員の指示に従うこと。の3点」と小耳にはさんだ。
 現在の仕事は、時間がフレックスタイム制にあるように、時間が決まっていない場合が多くあり、複雑な仕事をこなす必要がある。また、会社の上司に単に従うだけでなく、会社のために意見を言い、時には上司と意見の食い違いを見せるようにしないと、会社が生き残っていけないとすれば、学校に生徒を長くいさせるということは、将来、仕事につく上でマイナスではないか。すなわち、学校教育は、生徒に将来の仕事をする能力を根底から奪っているし、奪ってきたのではないか。実際、中学卒7割、高校卒5割、大学卒、3割が何らかの形で離職しているという。
 12時半に補習の生徒に何をさせるかを商業科の楢崎先生と相談した。その講座では丸山先生が主導で授業を進め、楢崎先生は生徒の出欠席を担当していた。相談した結果、ワープロ検定と情報処理検定のプリントが必要になった。ワープロ検定のプリントについては、三邦先生の手元にあるということで、情報処理検定のプリントを探しに情報準備室へ行ったところ、あるべきところになかった。今年度行われた検定の資料は情報準備室にある丸山先生の隣の机上へ置くということが商業科の会議で決まっているはずと思い、情報準備室の管理者である楢崎先生に訊いたところ、つい最近、この部屋を整理、掃除、廃棄をしたとのことであった。そこで、三邦先生に連絡したところ、楢崎先生といっしょに現れた。
 「情報処理検定のプリントは、封筒に入れてこの机の上に置いたんです」丸山先生が説明した。

3人は、部屋中を探し回りながら、
楢崎先生が言うに
「どんな封筒だったんか」
「学校にあるこの手の封筒で、中身が多くありますので、厚みがある。また『日検』と大きく書かれ、何が入っているかわかるようになっています」と丸山先生が答えたところ、
「どれだけの大きさや」
「A4サイズ(のプリント)が入るサイズです」
そこで、三邦先生が語気を強めて
「検定の資料は、このロッカーの中に置くことになっているだろう」

「いえ、わたしの隣の席の机上の本棚に置くことになっています」と反論した。
三邦先生が声を荒げて、
「そんな話、聞いていないぞ。そんな大事なもんなんで、そんなとこに置くんや」
楢崎先生も同調して、
「わしも、そんな話、聞いていないぞ」
 議論が堂々巡りになった。補習が始まる1時近くになったので、
「補習場所の第4情報室へ行ってます」丸山先生が言ったところ、
三邦先生が独り言を言った。
「ここにあったとしたら、ごみ箱か・・・・」


 1時を少し回ったところで、3年の学年主任が第4情報室前に2人の生徒といっしょに現れた。その2人の生徒は補習で1時に来ることになっており、口々に遅れたことに対して謝まった。その内の1人がA君だった。楢崎先生、補習の生徒と揃ったので、補習の日程について決めることにした。1日で終える予定であったが、楢崎先生の「ちょんちょんで終わってはいけない」との意見から、3日間行うことになった。
 1日目の課題は、決められたデータ(ある県の人口に関する資料)から、合併後の市町村の姿についてわかることを、適切に範囲を選択してグラフを作り、そのグラフからどんなことがわかるかの新情報をあげるのを課題とした。この課題は、情報処理検定後(12月〜)のこの講座の最終目標だった。2人とも、授業では新情報の内容・個数からして不十分なものであった。
 3時頃に、一見して消防署から来た人とわかる身なりの人が現れた。天井に張り付いている火災報知機の点検をしているようだった。ふと思い出して、楢崎先生に他に仕事があるようでしたら、ここは「私が見ていますから」と言うと、「あ、それでは」と部屋から出て行った。隣にある小部屋に消防の人が入ったのを見て、後からついて行った。1階職員室と美術の棟の間に重油タンクがあること。また、非常階段がその棟のあの場所にあって危険であることを伝えたところ、しきりにメモを取っていた。
 楢崎先生が行ったきり、なかなか戻って来なかった。生徒は、新しく見つけた情報が出尽くしたようで何をしてよいかわからないといった状態。校内放送をかけたところ、楢崎先生が戻ってきた。生徒が作成したプリントを見せて、
「新しく見つけた情報の個数からして、もう良いのではないかと思うのですが」と言ったところ、
「あなたがそう言うのあれば、それでいい」
と返事があり、補習1日目は午後3時20分に終了した。
 補習が終わって1階職員室に戻り、丸山先生は楢崎先生に訊いてみた。
「補習を3日間おこなう必要があるのですか」
「赤点をつけたのだから、当然です」
「あの者の点数を、計算式から厳密につけました。その結果赤点になりました。ですから、補習をおこなった結果から、規定の30点になった時点で、補習をやめるべきではないですか。その2人は点数が違います。30点になるまでの差を埋めるのが補習です」
「29も26も同じ赤点。主観が入った赤点。赤点をつけた以上、ちょんちょんで終わってはいけない」
「主観なんて入ってはいません。厳密な計算式を当てはめました」
「そんなら、赤点をつける必要ないじゃないか」
「え? ・・・・・・」
よくわからなかったが、補習は3日間行うことになった。
 三邦先生が情報処理検定の資料について「どうなったのか」と訊いてきた。「捜してみてくれ」で、周りを捜したが、どこにもなかった。
丸山先生は、楢崎先生の机の近くにある簿記の検定資料に目が留まった。
「そこにある簿記の検定資料は、どこにあったのですか」丸山先生は楢崎先生に訊いた。
「××先生の机(昨年いた先生で、現在私がいる席の隣の机)の上です」
「じゃ、私が正解です」(検定資料は、やはり私の隣の席にある机の本棚に置くことになっていたのである)
最初、楢崎先生は言ってることがわからない様子であったが、わかってきたようであった。
「情報準備室にあった湯沸かしポットですが、ケーブルがなく、使えなくて困っていました。捜したところ、前の廊下にあったダンボール箱に入っていました。情報処理検定の資料も、誤って捨てたのではないかと思ったのですが」
と丸山先生が言ったところ、
「ごみ箱に出ているか」楢崎先生が言った。
早速、ごみが集まる場所に行くことにした。
そこは自転車置き場の隣にあったが、ごみは何もなかった。学務員に「ごみは出ていませんでしたか」と丸山先生が訊くと、
「それは三邦先生がもってきて、今日の3時に(業者の人が)もっていってしまい、跡形もありません」
1階職員室に戻り、そのことを楢崎先生に伝えたところ、
「あじゃー!」近くにいた三邦先生が叫んだ。
「情報処理の資料がないと困るので、(電子)ファイルを印刷して、(紙の)ファイルに綴じてほしい」三邦先生が丸山先生に言った。

 5時半に三邦先生のいる3年の職員室を訊ねたところ、
「勘違いしていました。今年度の検定資料は、あなたの隣の机の本棚に集める。記憶が飛んでいました。日中、(情報準備室に)見にいったときに、それらしい(情報処理検定資料)ものがなく、あとは、書類を粉砕機にかけたので、個人情報は校外に出ていない」三邦先生が言った。

  2月26日(木)
 1・2年の定期考査が始まっており、午前中は定期考査の監督と昨日からの補習の監督をこなした。
 午後1時10分に3階の情報準備室に、丸山先生を含めた情報管理課の先生3人がいた。第一情報室へ通じるドアのすぐ近くにあるパソコンのエラーの問題で集まっていたのである。そのパソコンには、データベースソフトが入っており、ネットワークの要の一部であった。
 どうにも直らないことに、時間がたつに従って腹を立ってきたのか、だれかれともなく口々に言い合った。
「パソコンソフトを買うだけ買って、その後の管理がいい加減じゃないか」
「学校で動いているサイボーズというソフト(掲示板の機能で日々の出欠席の連絡に利用)のCD―ROMなんか今まで見たことないよ」
「前の担当者、その前の担当者と買うだけ買って、管理しないいい加減さ。結局、とばっちりは自分達じゃないか」
 著作権なんか調べようがない。学校社会はいい加減な管理のオンパレード。今の情報管理課は丸山先生の音頭で管理を始めたといってよい。著作権は未知のものが多いし、どの学校も同じ状態だという。  
  1時半に会議があり、その冒頭に本校の入学定員が大幅に減って定員が割れたことに吉沢校長の見解を求める発言があった。吉沢校長は教育委員会と電話対応のため、結局、後日の職員朝礼で話す形になった。

  2月27日(金)
 職員朝礼で昨日の入学試験申込者の大幅な定員割れに対する吉沢校長の見解があった。

「地域の中学生が減少していること。他の地域の中学生に対する広報が足りなかった。体験入学の回数、時機を考えるべき。セールスポイントをしぼれなかった」と
 1限から3限にかけて、2人の補習があり、その内1人は、午後に昨日の補習で未消化の分をする予定であったが、「昼食を忘れた」ということで、そのまま補習を続け、12時半過ぎまでかかった。
 仕事が次から次へとある中で、この補習の3日間はしんどかった。内心、赤点なんかつけないほうが良かったのではないかと後悔。会議で決まった計算式で計算をしているといっても主観で判断する部分はどうしても出てくるので、赤点をなくすことも、増やすこともある程度できてしまうからだ。
 1時過ぎに遅い食事を取りながら、何時の間にか、ふって湧いてくる専門高校等の表彰状の問題をどうすればよいかと思い悩んでいた。該当の生徒の修得単位状況を調べたところ、読み替えがあったとしても、規定の25単位に達していないように思うし、吉沢校長のあの慌てようからして規定に達していないのだろう。以前、滝地先生が言っていたように、商業の指導主事に問い合わせればよいのだろうか。今まで成り行きにまかせる形でどんどん進んでいった。いざ、それを実行するときになってはじめてよせば良かったとの後悔の念が胸の中から奔流のようにこみ上げ、まわりの筋肉を締め上げていった。
 妻の一美の言葉がよぎった。
「学校の場合、ひたすら校長になるまで事なかれに終始し、校長になってから、自分の思う通りにやっていくのが無難だわ」
事なかれどころか、問題をいっぱい作ってきてしまった。問題がないのに、新たな問題を作ってきたわけではない。ただ、現にある問題を指摘しただけであった。
 滝地先生の言葉がよぎった。
「校長、教頭の意にかなう教員が教頭になり、校長になるのが実態です。わたしは、まっとうなことを言う滝地で有名ですから、校長に疎まれて飛ばされてきました」 
 校長、教頭の意にかなう人間とは、問題を指摘しない人間なのか。問題を指摘すると、校長・教頭の責任になるからなのか。自らの責任が問われないように、校長・教頭を決めていく。それが連綿と続いているのが学校の伝統なのだろうか。問題を指摘する者は、他の学校に追いやり、指摘された問題は風化していく。その累々たる問題の堆積物が、何かの弾みに人の口から出たり、消えたりしていく。
 そして問題が表面化して、どうにもならなかった時の言葉まで用意されているのではないか。原形をとどめないないぐらいに焼けただれた死体を納めた棺、その周囲を悲嘆にくれ、涙し、怒りに震え、打ちひしがれ、慟哭する肉親・保護者、原因を追及する報道記者の前で、周到に用意された原稿。

「このような事故が起こるとは、予想もつかず、遺族の方々には大変申し訳なく、責任をひしひしと感じています。このような事故が決しておこらないように対処していきたいと考えます。」と

 人は組織に入った以上、その組織の長になることを夢見るのであろうか。自分が校長になることを夢見る人間は、校長・教頭の意にかなうようにひたすら務めて、その仲間に加わりたいと思う。問題に目をつぶってくれた代償に校長・教頭の席が用意されるのだろうか。
 午後4時に、どうして良いかわからず、図書室へ滝地先生を訊ねて相談してみた。この表彰状の問題はそのまま放置しておくしかないという話になり、それしかないという結論になった。


 午後6時過ぎ、丸山先生は3階の情報準備室にいた。表彰状の問題を商業の指導主事に意を決して、電話で連絡しようと思ったからである。なぜ連絡しようと思ったのか自分でもわからなかった。ただ、ほっておけない衝動に駆られたからである。正義感からなのか、いや毎日のきまりきった日々に波乱を求めたのか、何かを知りたいのか、このまま引き下がるのが嫌なのか、考えてもわからなかった。メモ用紙にある県教育委員会の学校指導課の電話番号を押していた。これから先、自分はどうなっていくのか、先が見えない暗がりに向かってわけもなく走る感覚であった。暗がりの向こうには、明かりを捜すがどこにもなく途方にくれる暗がりが横たわっているように見えた。迷いを吹き消すかのように、電話がつながる音が耳から断続的に聞こえてきた。どのように話をすればよいか、話の順序を考える。緊張がみなぎっていく。誰も電話に出なく、受話器を置いた。じっとしていると、冷たい冷気が体全体を包み込んできた。

メモ用紙を持つ指が小刻みに震え、乱雑に書かれた数字が頭の中でからみあう。
 再度、電話番号を確かめるように押して、受話器をとった。下を見ると、対面の図書室は暗く、1階の職員室の明かりが見えていた。近くには、ネットワーク機器のランプが点滅しており、独特な機械音があたりの静寂と調和していた。誰も電話に出なかった。

  2月28日(土)
 テレビで鳥インフルエンザのニュースがあり、広がりを見せていた。自分の組織さえ守ればよい、他はどうでもよいという考えが、被害を大きくし、パニックへと発展していった。伝染性の強さから全国にパニックが広がる寸前で、匿名の電話がありパニックはその地域内で収めることことができた。匿名の電話をかけた者は、どのような気持ちで電話をかけたのであろうか。自分及びその組織を守るか、国家を守るかの究極の選択があり、組織を守っていたのでは、国家が立ち行かなくなるとの強い危機感があったのではないか。
 この感覚は日本人が遠く忘れ去られた感覚であった。太平洋戦争の敗戦から国家が否定され個人が尊重される世になった。会社、学校、官庁にしても、個人及び組織の利益を最優先にすることが大事とされ、それは教育によって推進されていった。その利益はお金として消化され、組織の外側には不利益が堆積していった。その一番外側にくる国家が、その累々たる堆積物ために今や埋もれんとしている。
 そのことは、情報化の急速な進展にあわせ、誰の目にも明らかになり、その流れを止めることができないこともわかってきた。そしてどこかで、何かのきっかけで弾けるのではないかとうすうす感じてきた。このままではいけないと誰もが思うが、どうすることもできない現実が待っていることも。

  3月1日(月)
 8時半に丸山先生は教務で情報Aの科目担当者に訊いてみた。
「わたしのところは、教科書を終わる予定ですが今年度の情報Aは、シラバス通り、教科書一冊終わりますか」
「とても終わらないですよ。よいですか」
と困った表情で答えた。そこで、横にいた江島先生にすかさず訊いてみた。
「教科書終わらなくても良いですか」
「当然、終わらなくてはいけません」江島先生はきっぱりと答えた。
 本校の情報Aの科目は、従来からワープロ検定の合格に主眼がおかれ、教科書はあまり使っていないのが実態だった。教育委員会から、教科書を全部教えなくてはいけない通達があり、丸山先生は何とか教科書を1冊終えられる見通しがたった。情報科の主任でもあり、他の情報Aの講座はどうなっているかと思い、訊いてみたのである。
 商業の科目も似た状況で、検定合格に主眼が置かれて教科書を使うことは今までなかった。正確には、3年前の商業科に変わってからの3年間、教科書は使わなかったし、主任でないことをいいことに、そんなものだと割り切って考えていた。人は、その立場に応じた考えを持つ。立場があるから、その立場に応じた務めをせいいっぱい果たしていく。立場が人間を作り変えていく面が強い。立場でない場合は、あまり問題として意識しない。問題として意識しないことで商業科の組織にいられるのだろう。学校の問題も、それを意識しないことで学校にいられる。組織を離れては、人は生きていけない現実がある。組織に入るという選択の時点で、組織に迎合し、その問題に触れてはいけないということに気づいた。自分も知らず知らずに、迎合していた事実を見つけた。組織に不利益な事実は、組織にいる者の務めとして、ひたすら黙っていようと思った。
 だが、「これで良いのか」と思ったが、考えても考えてもわからなかった。この判断は、組織の中ではできないだろうことはわかった。考えれば考えるほど、深みにはまっていく自分があった。考えてもわからないことは考えないことにした。
 4限目の空き時間に商業科の会議があった。この前あった卒業予定の生徒2人の補習が多くの時間をかけしっかりした内容のものであることを告げて、情報処理4単位が商業科の中で認められた。
 その話し合いの中で、なぜ5時間という表現があったのかわからなかった。この5時間とは、ひょっとして欠席時数が規定の限度を5時間オーバーしているのではないか。それで商業科主任である三邦先生は5時間を強調したのではないか。そうだとすると、本来ならば、情報処理4単位未履修ということで、補習は無効となり、単位は認定できない。その結果、規定の単位数に到達せず卒業はできない。卒業できない生徒を卒業させてしまっていることになるが、わからない。
 また、問題が出てきそうだ。今更、蒸し返してもどうしようもないじゃないかと思い、黙っていることにした。成績の表簿上はつじつまがあっていたとしても、その根拠となるデータは学事システムが持っている。その学事システムの過去のデータを調べようと思えば調べられる。他の先生への案内では、学事システムはシステム上、過去(前期)に戻ることはできないと案内している。実は、学事システムはサーバーパソコンの時間でコントロールされており、サーバーパソコンにある時間を過去に戻せば、導入当初まで遡って過去のことが調べられるのである。もし万一、情報開示で調べられて、説明のできない個所が見つかり、卒業できない生徒を卒業させていた事実が見つかった場合、学校側はどのように対応するのだろうか。しかし、大須磨教頭からは、「調べ直す必要はない」と言っていたのを思い出した。ほっと安心して、これ以上詮索するのをやめにした。
 会議の終わりに、丸山先生が内密にしてといって他の商業科3人に話をした。
「専門高等学校等優良卒業生表彰について調べたのですが、表彰規定はないと大須磨教頭が言っていたが、実は表彰規定がありました。その規定とは商業の単位25単位以上という規定ですが、本校は教育課程上でもそれに満たしていません」と言ったところ、なぜこの話を商業科にもってこないかと憤慨していた。校長、教頭他とりまきだけで、ものごとが決まっていくという形はおかしい。しかし、ほっておくことにし、来年度見直していという形になった。
 放課後、部の顧問会議があった。サッカー部の廃部についての話があり、指導者と練習場所がないのが理由だった。指導者も現在までいた。場所については、ソフトボールの練習場所が確保されるのだったら、場所があったのではないかといったところ、ラグビー部があったからだという。後から、以前いた人にラグビー部について訊いても、練習を見たことがないという。別の人に訊くと、ソフトボールはあまり場所をとらないが、サッカーは場所をとるからという。なぜ、廃部にならなければならないのかわからなかった。

  3月2日(火)
 9時頃、丸山先生は国元先生に訊いてみた。
「昨日の顧問会議で話のあったサッカー部ですが、場所がなかったから廃部という話でしたが、場所はあったと聞きましたがどうですか」
「もう、(昨日の顧問会議で)決まったんや」といらいらした口調で言って、それ以上とりあってくれなかった。

  3月5日(金)
 卒業式があった。卒業できないのに卒業してしまうのではないかと詮索していたあのA君が、頭髪を金髪に染めて登校してきた。生徒指導の先生の怒鳴り声が、廊下に響いた。このA君は、何か学校に言いたかったのだろうか。
 A君はひょっとして、自分の欠席時数が規定を超えていることがわかっていたのではないか。A君は成績はよくないが、頭はいい。ずる賢い子は後、何時間休めるかを計算してくる。単位を落とし、卒業しない予定だったのではないか。が、わからない。
 卒業式が始まり、サッカー部の主将で暴れたというあのB君がいた。B君はどのような気持ちで式に臨んだのだろうか。そして、専門高等学校等卒業生成績優秀者表彰で問題になったあのC君がいた。その表彰状は前日にあった表彰伝達式でもらっていた。生徒会功労賞で話題になったD君がいた。D君は、同窓会から表彰されていた。

  3月9日(火)
 午前9時頃、情報準備室で商業科会議があり、商業科の4人が集まった。1・2年の成績のつけ方で、赤点をつけるのを極力避ける方向で話し合われた。赤点をつけると教員の指導力が問われるからだという。授業が成立しなく、精神が壊れたとぼやいていた楢崎先生の講座も赤点はなかった。私が今後の指導もあり、問題の生徒を呼び出し、指導をすべきと話したところ、問題の生徒は呼んでもこないし、先生が嫌いだと言うからだという。年度内に解決することをせず、来年度当初より、新メンバーの教員でしっかり授業のありかた、目標を定めていこうということになった。問題の生徒に対して、赤点をあえてつけて、補習で生徒を指導しようという発想がないのか。3年の補習で残した生徒の話があり、年度当初出欠をとる担当を途中から決めたため、その生徒の欠席時数が規定より超えているかもしれないという。しかし、該当の生徒が卒業してから言うというのは、どういうことなのか。こちらとしては、聞いてもどうすることもできないじゃないか。本来、単位が未履修の生徒の単位が認定されてしまったかもしれない。恐れていた卒業できないのに卒業してしまうことが、真実味を帯びてきた。

3月15日(月)

職員会議の中で、学力の極度に劣った生徒の取り扱いについての話があった。丸山先生が吉沢校長に「教科の学習目標と大分ずれた生徒がいるのですが、出席点と態度で黒点(規定以上の点)にした」と言ったところ、吉沢校長から「それでいい」という返答をもらった。


  3月24日(水)
 離任式があり、離任に際しての挨拶で楢崎先生はサッカー部がなくなったことを残念がっていた。以前、某高校の教頭をしていた話があり、某高校は廃校になったという。本校は廃校になった某高校と同じ状況にあると警鐘を鳴らしていた。
 図書課長の滝地先生は、まっとうな事をいう人が追い出されていくのがこの学校。いや、どの学校でも同じと言っていたが、本当に転任になってしまった。不服なのかどうか知らないが、この日は休みで離任の挨拶はなかった。
 1年学年主任の瀬町先生は転任先がより底辺校だと知ったのか「何か悪いことしたのかな」としきりにぼやいていた。

  4月1日(木)
 丸山先生は、ここで情報管理課長から図書課長に変わった。 この1年かけて、丸山先生は情報管理課が組織的に動けるようにし、校内ラン、ファイルサーバ、校内メール、パソコン調査、ホームページの骨格等を作り上げていった。教頭から情報管理課から図書課への話があった。司書の資格を持っているからなのか、今年度の総合訪問があるからなのかと思いを巡らした。1月にあった司書会議での朝読書の推進が頭をよぎり、図書課に移った。大須磨教頭より、学事(システム)について質問されることがあるときは答えて欲しいとの要望があった。
 昨年は商業科に属していたが、今年は情報科になったが実質は商業の科目を教えることで変わらなかった。吉沢校長は停年退職し、新しく鵜飼校長になった。職員会議が終わって、1階職員室に戻る階段で鵜飼校長が丸山先生に「あなたが、ネットワークの専門家と聞きましたが」と不思議そうに訊ねていた。周りにいた国元先生が司書がどうのこうのと説明をしていた。

  4月28日(水)  
 いつも避難訓練は、駐車場で行っていますが、本当に火事があったら、グラウンドに集まることになっています。そのため、総合訪問にあわせ、避難経路図を今、掲示してあるのとは違うので作り直しますとの案内があった。

  5月6日(木)
 職員朝礼で鵜飼校長が、連休中、部活動に、近くの××祭りにと忙しめにあわせ、休めなかった先生が多かったと思いますが、 本校のためにがんばって頂きましたとの労いの言葉があった。近くの商業高校から転任した人から、その商業高校はこの学校より忙しく、生徒も先生も夜7時まで残って、部活動等に頑張っているという話があった。

  6月7日(月)
 三邦先生から、3年のプログラミングの前期中間考査の試験問題を、教科書の問題から出すことにしたから、今日と次の2時間で、教科書の該当ページを教えるはめになった。 今まで教えていなかったことを、生徒が短時間にやらされたことに、生徒は憤りを感じていた。
 それも、すべて総合訪問のおかげで、その担当官は、中間試験の問題と教科書を比べて教科書を実際教えているかどうかをみるという話だ。教科書を教えない現場が悪いのか、現実にあわない教科書を教え、1冊を最後まで終えることを要求する教育委員会が悪いのかわからない。
 しかし、組織には組織の事情がある。教育委員会は、文部科学省通達の通過地点。学校は、実際に授業を成立させる現場。教育学会は、理屈の整合性が問われ、責任の問われない諸子百家の集合体。諸子百家の集合体に翻弄される文部科学省・審議会。票を取るのに東奔西走し、横やりを入れる議員達。お互い組織に責任が及ばないように、及ばないように、巧妙とも言えるまやかしの言葉の羅列。組織の利益のみを考える戦後生まれの世代には、どうすることもできない現実があるのかも知れない。

  7月9日(金)
 総合訪問があり、県の教育長を始め、次長、課長、課長補佐の方達が来校された。授業見学、研究授業関係への参加、図書室に集められた校務資料を閲覧等されたりして、何か本校に問題がないかどうかを調べられていた。
 朝から緊張の連続であったが、そつなくこなしていった。緊張の最高潮は、午後から教育委員会側と学校側とが対面形式での質問の応酬であった。教育長が心の教育について問うと、鵜飼校長の口元から淀みなく、美しい言葉の羅列がメロディーのように流れ、観衆を魅了した。観衆は双方とも盛大な拍手が送れないのをもどかしそうに、熱い視線で応じ合った。後で鵜飼校長から、本校の評価が高く終えたとの連絡があった。

  7月15日(木)
 教育研究集会(情報科)に出すアンケートの中に、シラバスどおり実施しているかの項目があった。本校ではワープロ検定の準備に情報Aの時間が使われており、教科書をほとんど使うことがなく、シラバスは形だけであった。情報Aの講座5講座のうち3講座を持っている大須磨教頭に訊いたところ、
「シラバスどおりやっていない。あなた好きなように書いたら」と返答があった。
 もう1人の情報科の先生にも訊いてみた。
「情報Aの前期の成績ですが、速度3割、文書2割、教科書5割でみてはどうですか」

「やっと、(ワープロ検定の)通信文書を教えている段階で、教科書は無理。生徒には、ワープロ検定を取らせるのが生徒のためですよ」との返答であった。
「生徒のためというか。教員側の管理のしやすさだけでしょ。ワープロ検定は情報Aの目標とはちがいます。評価が、教科書の内容を評価しないというのはおかし